8日放送のNHK総合テレビ『歴史秘話ヒストリア』を興味深かったですね。「孫文と梅屋庄吉」...中国における革命の父、孫文を物心両面から支えたのが、梅屋庄吉でした。
実は孫文と我が家は関わりがあります。孫文が日本へ亡命中滞在していた家の近所に中山というお家があり、中山家の表札の字を気に入った孫文は、号を中山とし、さらに日本滞在中の名前を中山樵(きこり)としました。その中山家とは、実は母方の遠戚に当たる中山家のことで、明治天皇の生母中山慶子は、まさにこの中山家の出で、権大納言中山忠能の娘です。つまり、我が家は天皇家とも遠戚関係ということですが。
中山家と我が家の繋がりについては、また改めて書くとして....。
番組を見ているうちに、長崎市の新地・唐人屋敷界隈を歩いたことを思い出しました。この辺り、坂や階段を昇ったり降りたりの、なかなかハードではありますが、見るべきところが多いです。
天后堂は、元文元年(1736)、南京地方の人々が航海の安全を願い、天后聖母を祀って建立されたそうです。現在の建物は、明治39年(1906)全国の華僑から寄せられた寄附によって建てられました。
福建会館は明治元年(1868)に福建省泉州出身者により創設された八閩会所がルーツで、媽姐神を祀る唐寺です。明治21年(1888)に焼失し、その後、明治30年(1897)に全面的に改築され、福建会館と改称されたそうです。
長崎県文化振興課によるプロジェクト孫文・梅屋庄吉と長崎によれば、大正2年(1913)3月22日、華僑主催の歓迎午餐会で福建会館に孫文は訪れたそうです。
尚、大浦天主堂近く、松ヶ枝町にある 長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館 では、「長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム」が開設されておりますが、コロナの影響で明日4月10日から4月28日まで臨時休館となります。
私は小学生の時、世界人名事典で孫文を知りました。顔が怖いので孫文の顔を思い出すだけで震えていた記憶がありますが、震えれば震えるほどに孫文について知りたくなり、調べれば調べるほどに孫文という人物に惹かれました。 挫折を繰り返しながら辛亥革命で中国を民主化し、中華民国臨時大総統に就任するも、その後も挫折の連続だった人生。それでも亡くなるまで革命への強い情熱を抱き続けていた孫文の強さ、見習いたいと思います。
現在コロナの影響で自由に旅行できる雰囲気ではありませんが、再び長崎を訪れ、新地・唐人屋敷界隈をまた歩きたいです。