夏の日の
光注ぎし
海峡の
交わす遥かな
営み映えて
五楼
海如く
青の世界を
思わせて
雲のかい間に
覗く空かな
五楼
武蔵野の
迅る夏色
彩りし
向日葵照らす
惠む光か
五楼
清瀬台地から湧き出て、柳瀬川に注がれる水。
多くの方は下水と思っているだろうが、実は湧水なのである。
台田団地の下を通り、柳瀬川へ至り、石と石の間や塩ビ管から大量に注がれる湧水だが、清瀬の農家さんたちが使う肥料を変えたりしたおかげで、水質は向上しているらしい。 なので、煮沸すれば飲めるレベルと聞いた上で、実験を行った。
最初なので、コーヒー辺りから試そうかと思ったのだが、きつねうどんで試すことに。
持ち帰った湧水を煮沸し消毒し、一旦冷ます。うどんのつゆをこさえる段階で再沸騰させ、アゴダシと昆布で出汁を取り、醤油と日本酒を加え、少ししてからうどんと具材を投入し、暫くしてから完成。
出汁の味が出やすいように関西風に仕上げたが、クセがまったくない。むしろ、出汁を引き立てており、かなり美味しい。
うどんだけに限らず、出汁が命の汁物やラーメンでも使えるのではないかと思ったくらいだ。
いつ何時、災害などで断水ということも起こり得る。そういう時にこの水が使えるのなら、かなり有難い存在なのだ。
本当に、清瀬市民にとって命の水になるレベルなのか、もう少し検証してみるが、現段階では予想外の好結果だったのだ。
物心ついた時から、野球に夢中だった。当時のプロ野球中継はジャイアンツが主で、必然的にYGの帽子を被り、ONの一挙手一投足を追いかけていた。東京多摩地区育ちなので、小学校でも当然YGファンが圧倒的に多かったのだが、あまりにYGだらけも嫌だったし、セリーグの野球に飽きていたこともあり、昭和48年の日本シリーズを境に、南海ホークスへ鞍替えしたのだ。何故南海ホークスだったのか? 先ずユニホーム。それから、野村克也氏が監督と選手を兼任していることが斬新で、さらに、当時の南海ホークスヘッドコーチだったドン・ブレイザー氏が書いた「シンキングベースボール」という本との出会いもきっかけだった。 あとは「あぶさん」の存在かな。
南海ホークスのファンになったのはいいが、当時、情報量が少なく、中継も皆無だし.....。
唯一「週刊ベースボール」だけが頼りで、後はラジオの中継だったが、夜になると受信できるラジオ大阪やRKB毎日放送の、近鉄バファローズや太平洋クラブライオンズ戦の中継を聴くことで情報収集していた。
「プロ野球ニュース」が始まると、ダイジェストではあるが、戦況と結果を知ることができたが、まだまだパリーグは隅に置かれていた感が強かった。
南海ホークスは、昭和48年パリーグ優勝を果たしたが、阪急ブレーブス黄金期の中で、なかなか優勝は遠く、野村監督解任以降は、Bクラスが指定席で、優勝は夢もまた夢だった。 所沢に西武ライオンズが誕生し、ホークスの試合も観に行きやすくなったが、勝ち試合を観ることはなかなかできなかった。それでもいつかは優勝できるだろうと期待していたが、南海ホークスである間にその夢は叶わなかった。でも、弱くて、貧乏球団だった南海ホークスに対する愛着は失われず、常勝球団だった西武ライオンズや阪急ブレーブスにも、たまには勝つことはあり、数少ない勝ち試合に狂喜したものだった。
南海ホークスは、福岡ダイエーホークスに変わり、福岡へフランチャイズを移したが、弱いのは相変わらずで、やはり、たまに勝つと狂喜乱舞していた。根本陸夫氏が西武ライオンズの管理部長を辞し、監督でホークスへやって来て、ようやく活気付き、王貞治監督になり低迷もしたけど、ようやく優勝できたのだ。あの優勝は泣いた。ファミレスで中継聴きながらだったけど、泣けて泣けて仕方なかった。さらに日ハムファンの友人からお祝い電話があり、号泣してしまった。
あの優勝から20年。ホークスは常に優勝が争える球団へと生まれ変わった。強くなり、人気も高まり、ヤフオクドームのチケットを買うのも困難な状況だ。 中継もMXやBSで観ることができるようになったが、南海ホークス時代を知る者として、今の状況は夢みたいなものだ。 でも時々、閑古鳥が鳴き、野次や罵声がクリアに聞こえる大阪球場を懐かしく思うことがある。弱いけど、何処か憎めず、妙に愛着が湧いたのが南海ホークスだったのだ。
以前、昔からパリーグを応援している人たちだけの飲み会があり、抜粋だが.....
阪急ファン
「やはり福本の足は速かった!マルカーノと大橋の二遊間は鉄壁で....」
「ソレイタは永射がどうしても打てなかったんだよなあ」
「栗橋のバッティングは豪快で......」
太平洋〜西武ファン
「東尾よりも加藤初の方が安定感あったよなあ」
ロッテファン
「ラフィーバーのバッティングはシャープで....」
私(南海〜SBファン)
と、不毛な会話を明け方まで交わしたのだ。
人はこの噛み合わなさそうで噛み合う不毛な会話をマニアックと言うだろう。 しかし、それくらい、世間に人気がなかった当時のパリーグには魅力が溢れていたのだ。
懐かしいなあ。
昨日、フランスの友人からメールが来た。
「パルム・ドールを受賞した是枝監督はどんな人物なのだ?」
ということだった。
是枝監督とは、とあるパーティーだったかで、一度お会いしたきりである。が、ある時期、近い空間で育ったことは紛れもない事実なのである。
その空間とは、東京都清瀬市である。
昨日BSフジで放送された「海よりもまだ深く」の舞台になった団地は、旭が丘団地で、私が育った団地は台田団地である。 是枝監督は旭が丘団地育ちで、「海よりもまだ深く」でも旭が丘団地がロケ地となり、よく知っている風景が次々に登場した。でも、私は旭が丘団地ではなく、台田団地の住民だったのだ。確かに旭が丘団地界隈へはよく行っていたが、住んではいない。だから、是枝監督が描いている団地の人間模様というのは、「あくまでも旭が丘団地」特有のそれなので、よくは知らない。
清瀬でよく聞かれるのは.....
「私は是枝監督の住んでいた旭が丘団地によく遊びに行っていて、旭が丘のことは隅々までよく知っているわ」
という是枝監督ありきの自慢話だが、旭が丘団地ほど、住んでみなければその良さも悪さも分らない団地はないんじゃないかなと思うのだ。
我が故郷台田団地も、中里団地も、竹丘団地も、野塩団地も、それぞれ団地と名が付いてはいるけれど、雰囲気は、まったく異なるのだ。
ただ、団地の共通点があることも事実で、生まれも育ちも価値観も異なる人々がそこいらにたくさんいるのだから、近所付き合いで苦労をしたり、人間臭いことは、何処の団地でもあることなのである。
パルム・ドール受賞作である「万引き家族」でも、「海よりもまだ深く」でも、是枝監督が描く世界というのは、紛れもない「人間臭さ」なのである。リアル過ぎる描写に「身に覚えがあるような」木っ端恥ずかしい思い出が重なり、でも、所々に救いのシーンがあったり、ほっこりしたりで、何とも言えない気持ちにさせてくれるのが、是枝作品なのである。これは多分なのだけど、是枝監督ご自身が旭が丘団地で育ったからこそ、描ける世界観なのではないかな、とも思うのだ。
降る雨に
映えし紫陽花
いにしえの
風情感じて
うつつ夢見し
五楼
梅雨雲の
垣間くぐりし
陽射し降り
命育ちて
絆繋ぎし
五楼
夕暮れの
空彩りし
雲の絵に
証し映りて
夏への標
五楼
五月雨が
濡れし紫陽花
天然の
美し姿
愉し高ぶり
五楼
島中の
玉石垣に
込められし
汗と想いに
悲哀察して
五楼
黄昏に
水面照らされ
遥かなる
宇宙(そら)をなぞらえ
想い彼方に
五楼
青空に
映える梅の花
降り注ぎ
芳しにほひ
春風交わし
五楼
梅咲きて
まだ来ぬ春の
温もりを
心感じて
進む道なり
五楼
風揺れる
あねもね遥か
いにしえの
紅染まる
思い繋いで
五楼
水温む
春の水面に
舞降りて
流れ任せて
川旅遥か
五楼
春めいて
小鷺せわしく
飛ぶ川の
水面映りし
羽搏き魅せて
五楼
Demain, une rencontre avec Kim Jeong-un aura lieu à Singapour avec le président Donald Trump. Une réunion historique avec les dirigeants américains et nord-coréens sera réalisée. Le Premier ministre Abe au Japon demande au président Trump de parler du "problème des enlèvements", mais c'est même une situation suspecte même si le président Trump fait référence à la "question des enlèvements".
La Corée du Nord tente de garantir le maintien du système et de le faire internationalement reconnu en tant qu'État souverain. Cependant, il est violent, même maintenant, de reconnaître internationalement le régime actuel de la Corée du Nord qui continue de réprimer le peuple.
Depuis l'époque de Kim Il Sung, la Corée du Nord opprimait profondément le peuple et créait une nation contrôlée par la pensée. Nous n'avons pas contrôlé le monde, contrôlé par la politique de terreur, tuant beaucoup d'innocents. Est-ce que le président Trumpt comprend comment admettre que cet "Etat voyou" aura une influence négative plus tard?
Anciennement le Parti socialiste du Japon (maintenant le Parti social-démocrate) a soutenu le maintien de Kim Il Sung en tant que parti nord-coréen. Non seulement le Parti socialiste japonais, mais aussi un livre écrit par les écrivains communistes Japon, Goro Terao, le livre "Au nord de la 38e ligne", les Coréens au Japon et leurs épouses japonaises s'acharnent sur le stratagème de la Corée du Nord et plus jamais au Japon. Il n'y avait pas de retour, et beaucoup d'entre eux ont été purgés.
Aujourd'hui, le Parti social-démocrate qui agit «rien de mal» et le Parti communiste du Japon ont également participé au maintien et au développement de la structure de la Corée du Nord. Ce péché est trop lourd.
Hier, le candidat nommé par le parti au pouvoir a remporté l'élection du gouverneur de la préfecture de Niigata. Le candidat nommé par le Parti communiste du Japon ou Parti social-démocrate a été défait. Niigata est également une ville stratégiquement importante pour la Corée du Nord. Les Coréens vivant au Japon ont envoyé en Corée du Nord et beaucoup de leurs épouses japonaises ont ouvert la porte "Enfer" du port de Niigata. Mme Megumi Yokota, victime d'un enlèvement, a également été enlevée par la Corée du Nord depuis Niigata.
Niigata a toujours la "sympathie nord-coréenne", il pilote l'opposition par derrière. Si l'Amérique et la Corée du Nord normalisent les relations diplomatiques, elles vont sûrement se rapprocher du Japon. Cependant, dans le système actuel de la Corée du Nord, il ne fait aucun doute que le Japon sera utilisé davantage, il y a une crainte que le «problème de l'enlèvement» soit dépassé. En cas.
Cela ne résoudra rien à moins que le régime nord-coréen existant ne soit détruit. En outre, le Parti social-démocrate et le Parti communiste japonais devraient reconnaître le crime auquel ils ont participé par le passé et s'excuser.
退院から1週間以上経った。これから再入院も控えているが、体調は、ほぼ安定している。とはいえ、ここで油断すれば元も子も無くなってしまう訳で、慎重に身体と向き合っているという状況だ。
そんな状況の中で、知人より英文翻訳の依頼が舞い込んだ。「無理しない程度に」と言われていたけど、一応フランス語の翻訳を生業にしている身で、しかも、元々は英米語学科出身なので、力が入った! というか、火がついた!!
日本語から英語への翻訳の場合、一番大事なのは、原語から先ず整えることだと、かつて恩師から教えてもらったことがある、ただ単に訳せばいいということではなく、如何に原語を大事にしながら、他の言語で正確に伝えるか、ということなのである。つまり、翻訳で大事なのは英語力と国語力なのである。
依頼者より「さすがですね!」と、お褒めを頂戴したので、一応の及第点は頂戴したことになるけれど、改めて、翻訳の一番大事な部分に気づいたということだ。さらに、及第点を頂戴したことで、英語力にも自信が付いたのだ。