À l'avenir~柳瀬ゴロー公式ブログ

柳瀬ゴローです。FMふじやま、TOKYO854でパーソナリティを務めております。番組のお知らせや川のことなどを綴っております。

ワールドカップはフランス優勝!

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ワールドカップが終わった。フランスの優勝という、嬉しい結果に満足している。フランスというか、デディエ・デシャン監督のファンである私。現役時代からキャプテンシーを発揮し、選手として、監督として頂点を極めたのだ。

 

それにしても、クロアチアの底力は物凄く、最後まで決して諦めない、強い精神力を感じた。

 

確かにこの勝負はフランスに軍配が上がったが、クロアチアも、そして3位のベルギーも、我が日本も、出場した全チームに拍手を贈りたい。

 

残念だったのは、プッシー・ライオットのメンバーによる、決勝戦乱入である。反プーチンメッセージをパンクロックで発信し続けるグループだが、音楽で留めておけばまだ良いものの、過激な妨害活動も行なっている。

 

日本における学生運動でも、音楽が果たす役割は大きかった。世界に目を向けても、圧政に立ち向かうため、音楽は有効な手段として用いられている。しかし、行き過ぎた妨害や破壊行為にまで及んでしまえば、全て台無しにしてしまうのだ。

 

Twitterでは、プッシー・ライオットによる乱入行為に対し、賛否両論飛び交っている。

 

私は、ワールドカップ決勝戦という、世界中から注目を集めている場で、乱入という手段を用いたことに憤りを感じている。プーチン大統領に恥をかかせた、一撃加えたと、その成果を強調するだろうが、多くのフランス、クロアチア国民を怒らせ、全世界を敵に回したのだ。この行為は、かつての赤軍派と同等なレベルで、愚かといか言いようがない。

 

「ミュージシャンには社会的責任がある。音楽は太陽の光と愛だけじゃなく、政治やとらわれた人のことを歌わなければならない」

 

確かにそうだ。しかし、乱入を正当化するのは、筋違いである。

 

「ロシアでは、これしか手段がない」

 

本当にそうだろうか? だとしても、許される行為ではない。

ラジオって素晴らしい

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今日は「ラジオ本放送の日」だ。

 

東京放送局(現在NHK)が、港区の愛宕山から第一声を発した日が、1925年7月12日なのである。我が国でラジオ放送が始まってから93年。ちなみに世界で一番最初にラジオ放送を開始したのはアメリカである。1920年11月、ペンシルバニア州ピッツバーグで産声を上げたKDKAが世界初のラジオ局ということになる。

 

93年間、ラジオ放送は飛躍的な発展を遂げ、テレビやインターネットなど、後から出てきた他メディアと競合することなく、独自の発展を遂げたのだ。むしろ「ラジオの見える化」にインターネットが貢献し、その結果、リスナーとラジオ局の距離が縮まったと言ってもよい。

 

現在のラジオ番組は、インターネットありきが主流だが、「ラジオ深夜便」のように、アナログ感を大事にしている番組もある。インターネットを使わない高齢者にも配慮しているんだろうなと思うが、NHKじゃなければ「ラジオ深夜便」のような番組はできない。

 

これはラジオ全体に言えることだが、アナログ感が実は溢れていたりする。 radiko などを用い、エリア外でも聴きたい番組を聴取できるようになったが、やはり、ラジオ番組はラジオで、という人がまだまだ多いから、電波をラジオでキャッチして聴くという、スタイルが主流である。まさに、電波をラジオでキャッチ!というのが、アナログ感につながるのでは?と考える。とはいえ、ラジオ局側もインターネットありきで番組を制作しているので、県域放送でも、コミュニティFMでも、今は「エリア外」で聴いているリスナーも大事にし、スポンサー側もサービスエリア外にもリスナーがいることを踏まえているような関わり方をしている。ひと頃は、ラジオ局側も、「エリア外」リスナーは、リスナーとして認めず、リクエストやメッセージすら無視していたこともあった。

 

現在のラジオ番組は、局のWebサイトで番組の告知を行い、メールやSNSでメッセージ、リクエストを寄せてもらう、というのが主流である。番組によっては、SNSを介してリスナーとのキャッチボールを図るというスタイルが定着しているのだ。SNS、特にTwitter を介するメリットは、リスナー同士の繋がりが生まれ、さらには番組の魅力が拡散でき、裾野を広げることにある。

 

個人的には、音楽を大事にしながら、トークも面白いという番組に惹かれる。自分も喋り手・作り手として発信する側にいたからこそ、感覚的に聴きたい番組が絞られる。

 

以下、私が好きなラジオ番組を紹介する。

 

○The Guy Perryman Show

Inter FM 897 月曜〜金曜 07:00-10:00  

改めて取り上げてみたい。最初の1時間は、メインナビゲーターのGuy Perryman氏が英語のみで、ニュースやイベント紹介、インタビューを行い、08:00からは渡辺麻耶さん(月曜〜水曜)や、クリスウエブ佳子さん(木曜金曜)が入るという構成。選曲には定評があり、音楽好きを唸らせ続けている。Guy Perryman氏と共に、渡辺麻耶さん、クリスウエブ佳子さん、それぞれの持ち味を発揮し、番組を盛り上げている。

実は、この番組を本格的に聴き始めたのは最近である。長年の習慣でJWAVEを聴き続けてきたが、以前も取り上げた”Radio Disco”(inter FM897 土曜15:00-18:00)のリスナーさんが、”The Guy Perryman Show”も聴いていることがTwitterで分かり、私も聴くようになった。

 

さらには「低音レディオ」(bayfm78 土曜20:00-22:00  ケイ・グラント氏)、”GOOD DAY” (FM FUJI 月曜〜金曜10:00-15:54 )、”Lazy Sunday” (inter FM897 日曜 11:00-15:00 George Cockle氏・渡辺麻耶さん)を可能な限り聴いている。どの番組も音楽が生かされ、トークとの絶妙なバランスを保っているのだ。

既にお気づきの方も多いだろうが、「低音レディオ」以外の全ての番組に、渡辺麻耶さんが登場する。 これまでずいぶんラジオは聴いてきたが、軽快なトークと引き出しの多さ、そして、リスナーを大切にする気持ちを兼ね備えている。 

 

そういえば、”GOOD DAY” 金曜を担当する、藤原恵子さんも、JWAVEで”I A.M.”を担当していた頃に比べ、一皮むけたというか、本当に同一人物なのかと思えるくらいの変化である。

局のカラーというものもあるのだろうが、やはり今の方が距離は近くなったなあと。

 

 

 

清瀬台地から湧き出る水を使ってみた!

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清瀬台地から湧き出て、柳瀬川に注がれる水。

 

多くの方は下水と思っているだろうが、実は湧水なのである。

 

台田団地の下を通り、柳瀬川へ至り、石と石の間や塩ビ管から大量に注がれる湧水だが、清瀬の農家さんたちが使う肥料を変えたりしたおかげで、水質は向上しているらしい。 なので、煮沸すれば飲めるレベルと聞いた上で、実験を行った。

 

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最初なので、コーヒー辺りから試そうかと思ったのだが、きつねうどんで試すことに。

 

持ち帰った湧水を煮沸し消毒し、一旦冷ます。うどんのつゆをこさえる段階で再沸騰させ、アゴダシと昆布で出汁を取り、醤油と日本酒を加え、少ししてからうどんと具材を投入し、暫くしてから完成。

 

出汁の味が出やすいように関西風に仕上げたが、クセがまったくない。むしろ、出汁を引き立てており、かなり美味しい。

 

うどんだけに限らず、出汁が命の汁物やラーメンでも使えるのではないかと思ったくらいだ。

 

いつ何時、災害などで断水ということも起こり得る。そういう時にこの水が使えるのなら、かなり有難い存在なのだ。

 

本当に、清瀬市民にとって命の水になるレベルなのか、もう少し検証してみるが、現段階では予想外の好結果だったのだ。

 

 

 

 

 

 

【閑話休題】やきゅーの話

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物心ついた時から、野球に夢中だった。当時のプロ野球中継はジャイアンツが主で、必然的にYGの帽子を被り、ONの一挙手一投足を追いかけていた。東京多摩地区育ちなので、小学校でも当然YGファンが圧倒的に多かったのだが、あまりにYGだらけも嫌だったし、セリーグの野球に飽きていたこともあり、昭和48年の日本シリーズを境に、南海ホークスへ鞍替えしたのだ。何故南海ホークスだったのか? 先ずユニホーム。それから、野村克也氏が監督と選手を兼任していることが斬新で、さらに、当時の南海ホークスヘッドコーチだったドン・ブレイザー氏が書いた「シンキングベースボール」という本との出会いもきっかけだった。 あとは「あぶさん」の存在かな。

 

南海ホークスのファンになったのはいいが、当時、情報量が少なく、中継も皆無だし.....。

唯一「週刊ベースボール」だけが頼りで、後はラジオの中継だったが、夜になると受信できるラジオ大阪RKB毎日放送の、近鉄バファローズや太平洋クラブライオンズ戦の中継を聴くことで情報収集していた。

プロ野球ニュース」が始まると、ダイジェストではあるが、戦況と結果を知ることができたが、まだまだパリーグは隅に置かれていた感が強かった。

 

南海ホークスは、昭和48年パリーグ優勝を果たしたが、阪急ブレーブス黄金期の中で、なかなか優勝は遠く、野村監督解任以降は、Bクラスが指定席で、優勝は夢もまた夢だった。 所沢に西武ライオンズが誕生し、ホークスの試合も観に行きやすくなったが、勝ち試合を観ることはなかなかできなかった。それでもいつかは優勝できるだろうと期待していたが、南海ホークスである間にその夢は叶わなかった。でも、弱くて、貧乏球団だった南海ホークスに対する愛着は失われず、常勝球団だった西武ライオンズや阪急ブレーブスにも、たまには勝つことはあり、数少ない勝ち試合に狂喜したものだった。

 

南海ホークスは、福岡ダイエーホークスに変わり、福岡へフランチャイズを移したが、弱いのは相変わらずで、やはり、たまに勝つと狂喜乱舞していた。根本陸夫氏が西武ライオンズの管理部長を辞し、監督でホークスへやって来て、ようやく活気付き、王貞治監督になり低迷もしたけど、ようやく優勝できたのだ。あの優勝は泣いた。ファミレスで中継聴きながらだったけど、泣けて泣けて仕方なかった。さらに日ハムファンの友人からお祝い電話があり、号泣してしまった。

 

あの優勝から20年。ホークスは常に優勝が争える球団へと生まれ変わった。強くなり、人気も高まり、ヤフオクドームのチケットを買うのも困難な状況だ。  中継もMXやBSで観ることができるようになったが、南海ホークス時代を知る者として、今の状況は夢みたいなものだ。 でも時々、閑古鳥が鳴き、野次や罵声がクリアに聞こえる大阪球場を懐かしく思うことがある。弱いけど、何処か憎めず、妙に愛着が湧いたのが南海ホークスだったのだ。

 

南海ホークスに限らず、あの頃のパリーグは楽しかった。

 

以前、昔からパリーグを応援している人たちだけの飲み会があり、抜粋だが.....

 

阪急ファン

「やはり福本の足は速かった!マルカーノと大橋の二遊間は鉄壁で....」

 

ハムファン

ソレイタは永射がどうしても打てなかったんだよなあ」

 

近鉄ファン

「栗橋のバッティングは豪快で......」

 

太平洋〜西武ファン

 

「東尾よりも加藤初の方が安定感あったよなあ」

 

ロッテファン

 

ラフィーバーのバッティングはシャープで....」

 

私(南海〜SBファン)

藤本修二加藤伸一は伸びしろあったのに...」

 

と、不毛な会話を明け方まで交わしたのだ。

 

人はこの噛み合わなさそうで噛み合う不毛な会話をマニアックと言うだろう。 しかし、それくらい、世間に人気がなかった当時のパリーグには魅力が溢れていたのだ。

 

懐かしいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

是枝裕和監督が描く世界

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昨日、フランスの友人からメールが来た。

 

パルム・ドールを受賞した是枝監督はどんな人物なのだ?」

 

ということだった。 

 

是枝監督とは、とあるパーティーだったかで、一度お会いしたきりである。が、ある時期、近い空間で育ったことは紛れもない事実なのである。 

 

その空間とは、東京都清瀬市である。

 

昨日BSフジで放送された「海よりもまだ深く」の舞台になった団地は、旭が丘団地で、私が育った団地は台田団地である。 是枝監督は旭が丘団地育ちで、「海よりもまだ深く」でも旭が丘団地がロケ地となり、よく知っている風景が次々に登場した。でも、私は旭が丘団地ではなく、台田団地の住民だったのだ。確かに旭が丘団地界隈へはよく行っていたが、住んではいない。だから、是枝監督が描いている団地の人間模様というのは、「あくまでも旭が丘団地」特有のそれなので、よくは知らない。

 

清瀬でよく聞かれるのは.....

「私は是枝監督の住んでいた旭が丘団地によく遊びに行っていて、旭が丘のことは隅々までよく知っているわ」

という是枝監督ありきの自慢話だが、旭が丘団地ほど、住んでみなければその良さも悪さも分らない団地はないんじゃないかなと思うのだ。 

 

我が故郷台田団地も、中里団地も、竹丘団地も、野塩団地も、それぞれ団地と名が付いてはいるけれど、雰囲気は、まったく異なるのだ。

 

ただ、団地の共通点があることも事実で、生まれも育ちも価値観も異なる人々がそこいらにたくさんいるのだから、近所付き合いで苦労をしたり、人間臭いことは、何処の団地でもあることなのである。

 

パルム・ドール受賞作である「万引き家族」でも、「海よりもまだ深く」でも、是枝監督が描く世界というのは、紛れもない「人間臭さ」なのである。リアル過ぎる描写に「身に覚えがあるような」木っ端恥ずかしい思い出が重なり、でも、所々に救いのシーンがあったり、ほっこりしたりで、何とも言えない気持ちにさせてくれるのが、是枝作品なのである。これは多分なのだけど、是枝監督ご自身が旭が丘団地で育ったからこそ、描ける世界観なのではないかな、とも思うのだ。